2016年5月22日日曜日

ブルーノート物語



・創期- 1500番台以前のブルーノート

ブルーノート・レコードは、1939年1月6日、午後2時、シカゴ出身の二人のピアニスト、ミード・ルクス・ルイスとアルバート・アモンズを録音したことにはじまる。

出資者はアルフレッド・ライオンとマックス・マーグリス。
ライオンはベルリン生まれの熱烈なブラック・ミュージックのファン、マーグリスはジャズ・ライターとして活動し、レコード・ビジネスに暗いライオンの右腕となる。当時のライオンは、レコーディングに対する知識も、それをどういうふうに売ればいいのかといったことに関してもまったくの素人だった。

一般にライオンが2人のピアニストのレコーディングを決意したのは、初レコーディングに先立つ1938年12月23日、カーネギー・ホールで開かれたコンサート『フロム・スピリチユアルズ・トゥ・スゥイング』を聴いたことがきっかけとされる。そのコンサートの直後、マンハッタンの駐車場でミード・ルクス・ルイスが働いている姿を目撃したことが大きい。ルイスは当時、音楽だけでは生計が成り立たないため、駐車場の係員の職についていた。同様にアルバート・アモンズもまた、シカゴでタクシーの運転手として働いていた。

ライオンはルイスに駆け寄り言った。「なんてことだ! あなたは天才なんですよ。ここでなにをしてるんですか?」12月23日から1月6日にかけてのある日のこの出来事が、おそらくはライオンをレコーディングへと駆り立てた。

社名は”ブルース・ノート”になる予定だったが、より簡潔にとの判断から”ブルーノート”になる。
レーベル・デザインを彫刻家マーティン・クレイグに依頼する。

第1回発売は、ルイスとアモンズそれぞれ2曲入りのSPレコードで、プレス枚数は各50枚。そのうちの大半は『コモドア・ミュージック・ショップ』を経営していたミル卜・ゲイブラーが販売し、一部がフィラデルフィアのロイヤー・スミスなる販売業者のもとに流れる。

当時は10インチSP盤が主流だったが、収録時聞が長いという理由から、あえて割れやすく値段も高い12インチSP盤での発売に踏み切る。10インチが1ドルだったのに対し、ブルーノー 卜が発売した12インチSPは1ドル50セントだった。
翌1940年、ソプラノ・サックス奏者シドニー・ベシェの『サマータイム』、がヒットしたことによって、事務所を西47丁目10番地に構える。
そして1940年末、ベルリン時代の旧友でありジャズ仲間のフランシス・ウルフがニューヨークに移り、ライオンと合流、ブルーノー卜のスタッフとなる。

ライオンとウルフがはじめて会ったのは1924年(諸説あり)、ライオンが16歳、ウルフが17歳のときだった。以来、ライオンの兵役期間(1941~43年)を含む1947年まで、ブルーノー卜はライオン、マーグリス、ウルフの3人体制で運営される。
1943年、ライオンの除隊を受けて、レキシントン街767番地に引っ越す。
1944年、テナー・サックス奏者アイク・ケベックを録音したことによって、ブルーノートに新展開がもたらされる。

ハーレムのジャズ事情や新しい動きに通じていたケベックは、ライオンに新人ミュージシャンを紹介し、以後ブルーノー卜のターゲットは、それ以前のトラディショナル~スウィング系から、ジャズの新しいスタイルであるパップへと広がっていく。

1947年2月24日、パブス・ゴンザレス(歌手)が率いるスリー・ビップズ・アンド・ア・バップによる録音によって、ブルーノートは完全に新しい時代へと突入する。
設立時からのメンバーであるマックス・マーグリスは、パップへの方向転換に異を唱えるかたちで、所有していた権利をライオンに譲渡、ブルーノートから去る。


・レコード番号その他の変遷
ブルーノートが活動を開始したころ、LPレコードは発明されていなかった。
したがって初期は「BNー1」からはじまる通し番号による12インチSPシリーズがつづき、「BN-56」で完結する(3三枚の欠番あり) 。

次に同じく12インチSPによる500番台が登場、「501」から「573」までつづく(2枚の欠番あり)。
さらにSPによるシリーズは12インチから10インチへと受け継がれ、1500・1600シリーズに入る。ただし1500番台は「1564」から「1600」(3枚の欠番あり)、1600番台は「1601」から「1629」と変則的なものとなる。のちにLP時代の初期にお いて登場するセロニアス・モンクやパド・パウエル、マイルス・デイヴィスやホレス・シルヴァー他いくつかの演奏は、この10インチ時代の1500・1600番台が初出となる。

ブルーノートのSPンリーズは、次に1200番台を設定したにもかかわらず、「1201」 から「1203」までのわずか3枚で終止符を打つ。
同時にここでSPの時代は終わり、LP時代が本格化する。1951年末、ブルーノー卜にとってはじめての10インチLPレコードによるシリーズが発足する。
番号は7000番台と5000番台にふり分けられ、トラディショナル・ジャズやスィング~ディキシー系が前者として30枚(7001~7030)、パップ以降のモダン・ジャズが後者として70枚(5001~5070)、計100枚が発売される(ともに欠番なし)。そして、後者の5000番台がのちの1500番台へと発展する。

1955年。ブルーノート初の12インチLPシリーズが、1200番台として登場する。ただし、この段階ではたぶんに実験的な要素が強く、「1201」から「1208」までのわずか8枚、しかも7000番台の10インチを12インチに編集したものにすぎない。
ごうしたメディアの推移、それにともなうレコーディング技術の発展、そしてなによりも音楽面における劇的な変化は、ブルーノートそのものをも変えていく。

初期は予算の関係もあり、多くのレコーディングはマンハッタン市内のWMGMスタジオやリーヴズ・サウンド・スタジオといったレンタル・スタジオにおいて行なわれていた。それが1943年ころから、より設備の整ったWORスタジオに代わる。以後ブルーノートは、このWORスタジオを中心に、と
きにはアベックス・スタジオやマンハッタン・タワーズを併用するかたちで、ほぼすべてのレコーディングを行なう。

1953年1月、サックス奏者としてのみならずジャケット・デザイナーとしてもブルーノートに関わっていたギル・メレがエンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーをライオンに紹介する。以後ほとんどのレコーディングは、ニュージャージー州ハッケンサックのヴァン・ゲルダー家の居間を改装した”ヴァ
ン・ゲルダー・スタジオ” で行なわれる。

一方、SPからLPへの移行は、レコード・ジャケットに新しい価値をもたらす。それはデザイナーやカメラマンにとって作品発表の場となり、10インチ時代はポール・べイコン、ギル・メレ、ジョン・ハーマンセイダーなどがジャケット・デザインにあたり、12インチ時代になって、新しい感覚を備えた新人リード・マイルスが登場する。

ライオンとウルフに加えてルディ・ヴァン・ゲルダーとリード・マイルスの4人によって、ブルーノーノート1500番台の幕は切って落とされる。

・1500番台を築いた4人の横顔
アルフレッド・ライオンは(Alfred Lion)は、1908年4月21日、ベルリンに生まれた。父親は建築業を営んでいたが、熱心な美術品のコレクターでもあり、こうした環境がのちにライオンを美術品貿易の仕事につかせる。「私が5歳のとき、両親が旅行に連れていってくれた。滞在したホテルにはダンスホールがあり、オーケストラが演奏していた。両親は私を寝かしつけると、そのダンスホールに踊りに行った。私は着替えて、こっそりダンスホールに行った。ミュージシャンたちが私を手招きしてくれ、私はドラマーの横に座って彼らの演奏を聴くことになった。そのとき、私はなにかを感じた。それは”リズム”だった」

1925年。16歳になっていたライオンは、その日も大好きなスケートをするためにいつものスケートリンクに行った。だがその日はたまたまアメリカからやってきたオーケストラのコンサート会場にあてられ、リンクは閉鎖されていた。
ピアニスト、サム・ウッディングが率いるチョコレート・ダンディーズのコンサートだった。ライオンは、導かれるように会場に入いる。
母親がもっていたレコードによってジャズを聴いてはいたが、その日スケートリンクで聴いた演奏は、それまで聴いたなかでもっとも衝撃的なものだった。それはライオンがはじめて聴いた、本物のブラック・ミュージックだった。
会場をあとにするころにはすっかりブラック・ミュージックの虜になっていたライオンは、次の日から”より黒い” ジャズのレコードを求めてベルリンの街をさまよう。

ライオンが近所に住むランシス・ウルフと出会ったのは1924年とされているが(前述)、以上の経緯から推し測れば、おそらくはライオンがレコード・ハンティングに明け暮れていた1925年から26年にかけてのことと推察される。ただし1924年に出会っていた可能性もないわけではない。
その場合、互いにジャズに興味をもっていることが話題にのぼらなかったとも考えられる。

1928年。19歳になっていたライオンは単身、ニューヨーク行きを決行する。ポケットに入っているのは100ドルの現金のみ、帰りの船の切符すらもっていなかった。
ニューヨーク港に着いたその足で港湾労働の職につき、ジャズ・クラブに近いという理由からセントラル・パークに寝泊まりする。

その後ジャズ・クラブで知り合った友人、知人宅を泊まり歩くようになるが、2年が過ぎようとしていたある日、外国人に自分たちの職を奪われたことに憤慨する連中から暴行を受け、病院送りにされたあげくベルリンに強制送還される。
ライオンの数個のトランクのなかには300枚のジャズのSPレコードが収納されていた。

1937年。ヒットラーによるナチズム拡大の気運をみてニューヨークに移住する。ジャズ・クラブに近いことから7番街235番地にアパートをみつけ、この一室がやがてブルーノート初のオフィスとなる。
現在発売されているCD、ならびに本書ではアルフレッド・ライオンの名はプロデューサーとしてクレジッ卜されているが、ライオンはその現役時代において、みずからの意思によって「プロデューサー一アルフレッド・ライオン」とクレジットしたことはない。なぜなら「私自身がブルーノート・レコードそのものだったのだから」

フランシス・ウルフ(Francis Wolf)は、1907年、ベルリンに生まれた。
父親は数学の教師をつとめるかたわら投資によって財を成し、母親は文化的なことに造詣が深かった。後年ブルーノーを経営面で支え、一方でカメラマンとして活躍するウルフの素養は、両親から受け継いだものといえなくもない。
アルフレッド・ライオン同様、自宅にあったジャズのレコードを聴いたことがきっかけとなり、ライオンと知り合ってからは地元のファン・クラブが主催するレコード・コンサートの常連となる。
やがてプロのカメラマンとなるが、地元ではせいぜい結婚式の撮影の仕事くらいしかなく、1939年、ニューヨークのライオンの誘いに乗って、ドイツ~アメリカ聞を往復していた最後の定期船で渡米する。

ドイツにはナチズムが訪れ、アメリカは第2次世界大戦に参戦しようとしていた。
ニューヨーク到着後、すぐにライオンと連絡が取れなかったというエピソードは、当時の混乱した社会情勢を物語る。渡米後、昼はカメラマンのアシスタントとして働き、夜はブルーノートの仕事に専念する。
当初はライオンとひとつの仕事を分け合っていたが、やがてウルフの提案によって、制作面はライオン、その他の管理面はウルフという体制が敷かれる。

ウルフがいう”管理面” には、会社の運営、ミュージシャンとの契約、販売店との交渉、ジャケット制作にまつわる作業、レコーディング中の写真を撮影することなどが挙げられる。
ライオンが兵役についていた期間(1941~43年)はウルフがブルーノー卜を支え、過去につくったレコードを販売することによって創立以来の利益を上げる。
ライオン除隊後の新オフィス移転や、すぐさま新しいレコーディングにとりかかることができた背景には、ウルフの優れた経営手腕がある。
以後ブルーノー卜は、現場はライオン、管理運営はウルフという二人三脚によって黄金時代を迎える。

ルディ・ヴァン・ゲルダー(Rudy Van Gelder)は、1924年、ニュージャージー州ジャージー・シティに生まれ、まもなく同州北部ハッケンサックに移る。
幼いころから、”オタクぶり”を発揮し、ハム無線に夢中になれば無線機を自作し、ある漫画雑誌で「自分の声が録音できる器械」という広告をみつけては手に入れ、あれこれ実験を試みる。
トランペットにも手を出すが、これはすぐに挫折する。やがて検眼技師としての資格を取得、ニュージャージー州テネックで開業する、両親が住むハツケンサックの居間を改装し、レコーディング設備を整える。

「小さいころから”録音” ということには関心があった。ハツケンサックの家の居間にあった設備はラジオ局で使っているコンソール以外、すべて自分でつくった。
そのコンソールはわずか1メートル足らずのものだったが、レコーディングには最適だった」
手作りのスタジオで知り合いのミュージシャンたちをレコーディングしていることが評判となり、1952年、友人であるサックス奏者ギル・メレのレコーディングを行なう。
メレがそのテープをブルーノー卜に売却したことから、その”サウンド” がアルフレッド・ライオンの耳にとまり、翌1953年、ギル・メレの紹介によって2人は出会う。
1500番台のレコーディングは、ライブやマンハッタン・タワーズなど一部の録音を除いて、すべてルディ・ヴァン・ゲルダー宅の”居間” で行なわれた。

リード・マイルス(Reid K,Miles)は、1927年7月4日、シカゴに生まれた。デザイナーになるまえは海軍に従軍し、隊長の専属運転手をしていたが、タイヤを盗んだ罪でアラスカ送りにされる。
退役後、ロサンゼルスに移り、チャウィナード・アート・インスティテュート入学。
「そんな学校に行ったのは、つきあっていた女の子のせいだった。
彼女といっしょにいられたし、それにアート・スクールが楽しそうだった。
彼女とはうまくいかなかったが、3ヶ月もしたらアートに目覚めていた」卒業後、ニューヨークに移り、ファッション・モデルとして生計を立てるかたわら、デザイナー、ジョン・ハーマンセイダーのアシスタントの職を得る。
ハーマンセイダーがブルーノー卜のアー卜・ディレクターをつとめていた関係から、やがてあとを継ぐかたちで、1956年からジャケット・デザインを手がける。

1500番台におけるマイルス・デイヴィスの最初の2枚、「1501」と「1502」のジャケット・デザインは、ハーマンセイダーとリードの師弟コンビによる合作となる。
そしてハーマンセイダーが「1508」まで手がけ、「1509」からリードの専任となる。
同年、ハーマンセイダーのもとから独立し、雑誌『エスクヮイア』のアート・ディレクターになる。その直後、ポストそのものが廃止されたことによってフリーのデザイナーとなり、さまざまな媒体を舞台に活躍する。
その間、クライアントのひとつであるブルーノートをはじめ数々のジャズ・レコードのジャケットを担当、その数は15年間で500枚に達する。

リード・マイルスのアシスタントをつとめたウェイン・アダムスの回想。
「ブルーノー卜やジャズのレコードは4色印刷(カラー)の予算がないことが多かった。リードはその制約を逆手に取った。
2色に抑えることで劇的な効果を出そうとした。たとえばモノクロのミュージシャンの写真を黒と赤、黒と青などのデュオトーンで印刷する。
それにタイポグラフィの色がデザインに奥行きを与えた。彼は文字で遊ぶのが好きだった。
だから彼は誰よりもタイポグラフィを重視した。タイポグラフィはあとから飾りでつけるようなものではなく、作品の重要な要素として考えていた」

1967年、35ミリのワイド・アングル・レンズを入手したことによって写真家としても活動をはじめる。1971年にはニューヨークとロサンゼルスを25回にもわたって往復するほどの売れっ子となる。
同年、ハリウッドにスタジオを建設、以後はロサンゼルスを拠点に活動する。
音楽の趣味はクラシック。ブルーノー トの仕事をしていたときもジャズはいっさい聴かず、テスト盤が届くたびに近所のレコード店にもっていってはクラシックのレコードと交換してもらっていたという。

アルフレッド・ライオン。フランシス・ウルフ。ルディ・ヴァン・ゲルダー。リード・マイルス。
4人が一体となって完壁なるジャズ・レコードを創造した1500番台のほんとうの物語は、マイルス・デイヴィスの「1501」からはじまる。
















2015年12月31日木曜日

『Miles Davis Volume 1 』BLP 1501

 
1952年5月9日録音(A-5、B-1,2,3,4,6)
マイルス・デイヴィス - トランペット
ジャッキー・マクリーン - アルト・サックス(ただしA-5、B-3には不参加)
J・J・ジョンソン - トロンボーン(ただしA-5、B-3には不参加)
ギル・コギンス - ピアノ
オスカー・ペティフォード - ベース
ケニー・クラーク - ドラムス
 
1953年4月20日録音(A-1,2,3,4,6、B-5)
マイルス・デイヴィス - トランペット
J・J・ジョンソン - トロンボーン
ジミー・ヒース - テナー・サックス
ギル・コギンズ - ピアノ
パーシー・ヒース - ベース
アート・ブレイキー - ドラムス 
 
Tracklist
A1 Tempus Fugit Written-By  Bud Powell   
A2 Kelo  Written-By  Jay Jay Johnson  
A3 Enigma Written-By Jay Jay Johnso  
A4 Ray's Idea Written-By Fuller, Brown   
A5 How Deep Is The Ocean Written-By Berlin   
A6 C.T.A. (Alternate Master) Written-By Jimmy Heath
  
B1 Dear Old Stockholm Written-By [Varmeland] Traditional   
B2 Chance It  Written-By ? Oscar Pettiford   
B3 Yesterdays  Written-By Kern, Harbach   
B4 Donna (Alternate Master) Written-By McLean  
B5 C.T.A. Written-By Jimmy Heath
B6 Would'n You (Alternate Master) Written-By Gillespie*

Label: Blue Note BLP 1501
Format: Vinyl, LP, Compilation, Remastered, Mono
Country: US 
Released:  Nov 1955 
Genre: Jazz
Style: Bop

アルバム・ストーリー
1952年、26歳のマイルス・デイヴィスに仕事はなかった。この数年というものドラッグに溺れ、名うてのジャンキーとして勇名を馳せていた。ジャズ・クラブのオーナーは門戸を閉ざし、レコーディングの機会もない。ジャズ・ミュージシャンほぽ全員が似たり寄ったりの状態、そんな時代だった。だがマイルスはすでに若きスタ-の座につき、しかも「クリーン」が売り物だった。あのマイルスが堕した。転落は好奇の目を集め、いっきに「過去のスター」扱い。「マイルス?ああ、そういえばいたな」。1952年の1年間を通じてマイルスが行なった公式なレコーディングはわずか6曲しかない。

アルフレッド・ライオンがなぜ「終わった」マイルスをレコーディングしたかに対する回答は、そのままなぜライオンがチャーリー・パーカーを一度もレコーディングしなかったのかという問いに対する回答をかねる。「二人とも重度のドラッグ中毒だったが、人間的にみてマイルスにはいいかげんなところがなかった」(ライオン)。 いいかえればマイルスには更生する意思があった。パーカーにはその気すらなかった。

ライオンとマイルスが、契約書もなく「年に1度」のレコーディングを約束したとき、卜ランペッターはすでにドラッグの渦中にあった。だが約束は1952年から履行され、以後53年54年と継続される。ライオンは当初それらを年代別に3枚の10インチLPに分けて発売、12インチLPの時代になって未発表として眠っていた別テイクを加えて2枚のアルバムとする。”オールスターズ”という名称は、すでに10インチ発売時につけられていた。『Vol.1』には、52年と53年のレコーディングが集められている。さぞやひどい出来だろうと思うのは、演奏に耳を傾けるまでの話だ。

《ディア・オールド・ストックホルム》や《ウディン・ユー》は、このドラッグにまみれた「過去のスター」が本質的なものをなにひとつ失っていなかったことを伝える。そして「未来の帝王」は、ドラッグの海に溺れていようと妥協を許すことはなかった。《イエスタディズ》をうまく演奏すること、ができなかったジャッキー・マクリーンは、オプリガートを吹くことさえ禁じられる。耳に残るマイルスの篤声。
マクリーン、20歳の思い出。


マイルス・テ'イヴィス(tp)
ジャッキー・マクリーン(a5)
J.J.ジョンソン(tb)
ジミー・ヒース(ts)*
ギル・コギンス(p)
オスカー・ぺティフォード(b)
パーシー・ヒース(b)*
ケニー・クラーク(ds)
アート・ブレイキー(ds)'

1 TEMPUS FUGIT'
テンパス・フュージット
2 KELO*
ケ口
3 ENIGMA*
エニグマ
4 RAY'S IDEA*
レイズ・アイデア
5 HOW DEEP IS THE OCEAN
ハウ・ ディープー・イズ・ジ・オγャン
6 ('T.A.*
C.T.A. (別テイク)
7 DEAR OLD STOCKHOLM
ディアー・オールド・ストックホルム
8 CHANCE IT
チャンス・イット
9 YESTERDAYS
イエスタディス'
10 DONNA
ドナ( ~'J テイク)
11 C.T.A*
 C.T.A
12WOULD'N YOU
ウディン・ユー(別テイク)

1952年5月9日
1953年4月20日・録音
Producer:Alfred Lion
Engineer:Ooug Hawkins
Recorded at WOR Studio
Cover Photo:FranCIs Wolff
Cover Design:John Hermansader/Aeid Mile



2015年12月30日水曜日

『Miles Davis Volume 2 』BLP 1502

 













  • マイルス・デイヴィス - トランペット
  • J・J・ジョンソン - トロンボーン
  • ジミー・ヒース - テナー・サックス
  • ギル・コギンズ - ピアノ
  • パーシー・ヒース - ベース
  • アート・ブレイキー - ドラムス

  • Tracklist
    Take Off   
    Weirdo   
    Wouldn't You   
    I Waited For You   
    Ray's Idea (Alternate Master)   
    Donna   
    Well You Needn't   
    The Leap   
    Lazy Susan   
    Tempus Fugit (Alternate Master)   
    It Never Entered My Mind

    Label: Blue Note BLP 1502
    Format: Vinyl, LP, Compilation, Remastered, Mono
     Country: US 
    Genre:Jazz
    Style:Hard Bop, Bop
    Year:1956
    Notes:
    Some releases contain tracks from Miles Davis - Volume 1 and vice versa.
    Some releases contain tracks from Miles Davis - Volume 2 and vice versa.
    Miles Davis Volume 1 & Volume 2

    2 LPs, 23 tracks, an hour and a half of music, 3 sessions spread over 3 years. These recordings constitute the entire output of Miles Davis on Blue Note with exception of his later, Columbia-era session with Cannonball Adderley, Somethin' Else in 1958.
    The material runs the gamut from straight bop (Dizzy Gillespie’s “Woody’n You”) to complex Birth Of The Cool-style arrangements (J.J. Johnson’s “Enigma”) to standards (“How Deep is the Ocean” by Irving Berlin) to a Swedish folk tune (“Dear Old Stockholm”).
    Many of the tracks are familiar tunes masquerading under different names: Jackie McLean’s “Donna” recorded for Prestige the previous year as “Dig”, “Take-Off” is actually “Deception” from the Birth of the Cool sessions (which itself is based on George Shearing’s “Conception”), “Lazy Suzan” is Tadd Dameron’s “Lazy Bird”, “Weirdo” would be re-recorded just a month later as “Walkin’” and then return even later as “Sid’s Ahead” on Milestones.

    アルバム・ストーリー
    "コールド・ターキー"というらしい。ドラッグ禍から自力で脱出する荒療治。マイルスは父親所有の農場の一室に閉じこもり、ドラッグ癖を断ち切る決意をかためる。部屋の鍵は外からかけられた。禁断症状に耐えること丸12日間、ついに脱出できたときは「身体中からチキン・スープみたいな臭い、がした」 (マイルス)

    歴史はすでにマイルスのために書かれていた。1954年2月、ニューヨークに戻る。5番街25丁目、安宿アー リントン・ホテルにチェックインする。そこにホレス・シルヴァーがいた。25歳のピアニストは住居代わりにその安宿に長期滞在し、一室しかない狭い部屋にグランド・ピアノを持ち込んでいた。すでにアー卜・ブレイキーから紹介されていた2人はたがいの部屋を行き来し、やがて1台のピアノを囲むことになる。

    「いつでもレコーディング出来るぜ、アルフレッド。ピアノはホレス・シルヴァーだ」。受話器を取ったライオンの耳に、なつかしいハスキーな声が聞こえる。さらにマイルスはトランペット、ピアノ、ベース、ドラムスという最少の編成で演奏したいと伝える。完全に立ち直ったことを知らせるためのワンホー ン・カルテット。ドラッグ中毒だったころは何人ものオンナから金を恵んでもらっていたが、なかでもいちばん献身的だった「キム・ノヴァク似のスケ」 (マイルス)のために曲もつくった。《レイジー・スーザン》、世話になったな。マイルスのブルーノー卜におけるレコーディングではじめてルディ・ヴ
    アン・ゲルダーが起用される。そのハッケンサックのスタジオに、約2週間前シルヴアーと『バードランド』で共演したクリフォード・ブラウンが表敬訪問に現れる。ピアノを弾くシルヴァーを囲んで2人のトランペッターがにこやかに談笑する写真が残されている。

    《ザ・リープ》はこのトランペッターが完全に復調したことを、《イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド》はバラードにおける表現力の非凡さを示す。マイルスとライオンが交わした約束は、この54年のレコーディングをもって皆突なかたちで終わる。だが物語はつづいていた。第2章、そして最終章は4年後、またしても唐突なかちで訪れる。『サムシン・エルス』(1595)。



    2015年12月29日火曜日

    『The Amazing Bud Powell, Vol.1 』BLP 1503

     














    1949年8月9日録音(A-4,5、B-3,4,5)
    バド・パウエル - ピアノ
    ファッツ・ナヴァロ - トランペット(ただしB-4には不参加)
    ソニー・ロリンズ - テナー・サックス(ただしB-4には不参加)
    トミー・ポッター - ベース
    ロイ・ヘインズ - ドラムス

    1951年5月1日録音(A-1,2,3,6、B-1,2,6)
    バド・パウエル - ピアノ
    カーリー・ラッセル - ベース(ただしA-6には不参加)
    マックス・ローチ - ドラムス(ただしA-6には不参加)
    The Amazing Bud Powell, Vol.1
    Tracklist
    1956 12" LP (BLP 1503)
    1."Un Poco Loco" (alternate take #1)- 3:46
    2."Un Poco Loco" (alternate take #2)- 4:28
    3."Un Poco Loco"- 4:42
    4."Dance of the Infidels"- 2:50
    5."52nd Street Theme" (Thelonious Monk)- 2:45
    6."It Could Happen to You" (alternate take) (Burke, Van Heusen)- 3:12
    7."A Night in Tunisia" (alternate take) (Gillespie, Paparelli)- 3:49
    8."A Night in Tunisia" (Gillespie, Paparelli)- 4:12
    9."Wail"- 3:02
    10."Ornithology" (Harris, Parker)- 2:20
    11."Bouncing with Bud" (Fuller, Powell)- 3:01
    12."Parisian Thoroughfare"- 3:23

    アルバム・ストーリー
    そのグアメイジンググな24歳のピアニストは、ライオンが出会う以前から精神障害に冒されていた。最初に精神病の発作を起こしたのは1945年、21歳のときだ。以来このピアニストは入退院をくり返したのち、テナー・サックス奏者アイク・ケベックの紹介によってライオンの前に現れる。だが、ライオンは、同時に紹介されたセロニアス・モンクを「わかりやすい」 という理由から優先させ、パウエルをやんわり拒否する。おそらくはパウエルの悪評はライオンの耳にも届いていた。さらにはモンクを「わかりやすい」と判断せざるをえないほど、ライオンの耳にパウエルは難解にすぎた。

    ライオンは「わかりやすい」モンクの初録音から2年後、その「難解な」パド・パウエルをレコーディングする。より「わかりやすく」するために通常のピアノ・トリオにトランペットのフアッツ・ナヴァ口、19歳の新人テナー・サックス奏者ソニー・ロリンズを加え、”バド・パウエルズ・モダニスツ”と命名したところにライオンの不安と商才が交錯する。

    クインテット編成で4曲をレコーディングした時点でパウエルの本質はピアノ・トリオにありと見抜いたライオンは、2人のホーン奏者を帰し、以後の二曲をピアノ、ベース、ドラムスで演奏することを提案する。1948年8月、24歳のピアノの鬼才はブルーノート・フアミリーの一員になった、かにみえた。

    ライオンは”モダニスツ”による4曲のうち、半数の2曲を「使えない」と反古にする。ピアノ・トリオでレコーディングした二曲は使えるが、それにしても10インチLPの片面にあたる4曲しかない。結果パウエル初のブルーノート盤は、さらに2年後、1951年の2回目のレコーディングから生まれた4曲を追加して完成する。この五一年の演奏は、ピアノ・卜リオとパウエルのピアノ・ソロによる。あくまでもピアノを重視したそれら4曲は、ライオンの「難解なピアニスト」に対する傾倒が本格化していたことを伝える。

    『Vol-1』にはそれら2セッションに加えて、未発表を含む3種類の《ウン・ポコ・ローコ》、2種類の《ア・ナイト・イン・チュニジア》が「連続して」収録される。それは今日見られる無造作な編集ではない。そのか「塊」ことそがパウエルだった。
    ファッツ・ナヴァ口(tp)
    ソニー・ロリンズ(ts)
    パド・パウエル(p)
    トミー・ポッター(b)
    カーリー・ラッセル(b)*
    口イ・ヘインズ(ds)
    マッヲス・ローチ(ds)*
    1 UN POCO LOCO*
     ウンポコ・ローコ(テイク1)
    2 UN POCO LOCO*
     ウンポコ・ローコ(テイク2)
    3 UN POCO LOCO*
     ウンポコ・ローコ
    4 DANCE OF THE INFIDELS
     異教徒たちの踊り
    5 52nd ST.THEME
     52丁目のテーマ
    6 IT COULD HAPPEN TO YOU*
     イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー(別テイク)
    7 A NIGHT IN TUNISIA*
     チュニジアの夜(別テイク)
    8 A NIGHT IN TUNISIA*
     チュニジアの夜
    9 WAIl
     ウェイル
    10 0RNITHOLOGY
     オーニソロジー
    11 BOUNCING WITH BUD
     パウンシング・ウィズ・バッド
    12 PARISIAN THOROUGHFARE*
     パリジャン・ソロフェア
    1948年8月9日
    1951年5月1日*録音
    Producer:Alfred Lion
    Engineer;Doug Hawkins
    Recordeda at WOR Studio
    Cover Photo:Francis Wolff
    Cover Design:John Hermansader

    2015年12月28日月曜日

    『The Amazing Bud Powell, Vol. 2』BLP 1504

     














    The Amazing Bud Powell, Vol. 2

    Tracklist
    1955 12" LP (BLP 1504)
    1."Reets and I" (Harris) 3:18
    2."Autumn in New York" (Duke) 2:51
    3."I Want to Be Happy" (Youmans, Caesar) 2:50
    4."It Could Happen to You" (Van Heusen, Burke) 3:13 (1951 session)
    5."Sure Thing" 2:39
    6."Polka Dots and Moonbeams" (Van Heusen, Burke) 4:00
    7."Glass Enclosure" 2:21
    8."Collard Greens and Black-Eyed Peas" (Pettiford) 3:01
    9."Over the Rainbow" (Harold Arlen, E.Y. "Yip" Harburg) 2:57 (1951 session)
    10."Audrey" 2:54
    11."You Go to My Head" (J. Fred Coots, Haven Gillespie) 3:15 (1949 session)
    12."Ornithology" (alternate take) (Benny Harris, Charlie Parker) 3:11 (1949 session)

    アルバム・ストーリー
    パウエルとのレコーディングを経験したライオンは、このピアニストが評判どおりの鬼才、評判以上のドラッグ中毒であることを思い知る。しかも情緒不安定ときてはレコーディングの結果は保証できない。そこで一計を案じ、2回目のレコーディングの前日にあたる1951年4月30目、ニュージャージー州イングルウッドの自宅にパウエルを招く。落ち着いた時間を過ごし、翌日いっしょにスタジオに行こう。そう目論んだ。だが翌朝、朝食をとっているテーブルにライオンが飼っている猫が跳びのった瞬間、パウエルは半狂乱に陥る。ナイフを手に猫を殺そうと追いかけ回すピアニスト。

    マンハッタンに向かう途上、パウエルを病院に連れていくが、待合室にはすでに15人の患者が診察を待っていた。別の日に予約を入れて車に戻る。WORスタジオに到着すると、ベーシストのカーリー・ラッセル、ドラマーのマックス・ローチが待ちくたびれた面持ちで2人を迎える。パウエルがひと言、「ちっょっとトイレに行かせてくれ」。十数分が過ぎる。不審に思ったローチ、がトイレに行くと、そこにパウエルの姿はなかった。楽器を片づけはじめるローチとラッセルに「もうちょっと待ってみよう」とライオン。1時間と30分がたっぷりと過ぎたころ、どこかでキメてきたパウエルが上機嫌で戻ってくる。ピアノの前に座って第一声 "OK We're ready,Let's go!"

    この日を最後にライオンがパウエルをレコーディングすることは、一度としてなかった。チャーリー・パーカーをレコーディングしなかった理由がそうであったように、ライオンはミュージシャンの気まぐれによってセッションが左右されることをきらった。もっとも、その後ライオンがレコーディングしようにもパウエルは電気療法を受けさせられ、廃人同然のありさまだった。

    1953年、保護観察つきで社会復帰したパウエルにライオンが手を差しのべたとき、この壊れた天才 は、そのこなごなに砕け散った破片を拾い集めてふたたび"アメイジンググ"な演奏をくりひろげる。『Vol-1』と『Vol-2』2枚のアルバムに、1949年から53年にわたるパウエルとライオンの濃密な時聞が刻まれる。


    パド・パウ工ル(p)
    トミー・ポッター(b)
    ジョージ・デュヴィヴィ(b)**
    カーリー・ラッセル(b)*
    口イ・ヘインズ(ds)
    アート・テイラー(d)**
    マックス・ローチ(ds)*
    1 REETS AND I**
     リーツ・アンド・アイ
    2 AUTUMN IN NEW YORK**
     ニューヨークの秋
    3 I WA NT TO BE HAPPY**
     アイ・ウォント・トゥ・ピー・ハッピー
    4 IT COULD HAPPEN TO YOU*
     イッ・クッド・ハプン・トゥ・ユー
    5 SURE THING**
     シュア・シング
    6 POLKA DOTS AND MOON-BEAMS**
     ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス
    7 GLASS ENCLOSURE**
     グヅラス・工ンクロージャー
    8 COLLARD GREENS AND BLACK-EYE PEAS**
     カラード・グリーンス'・アンド・ブラック・アイ・ピーズ
    9 OVER THE RAINBOW*
     虹の倣方に
    10 AUDREY**
     オードリー
    11 YOU GO TO MY HEAD
     ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
    12 ORNITHOLOGY
     オーニソロジー(別テイク)
    1949年8月9日
    1951年5月1日
    1953年8月14日**録音
    Producer:Alfred Lion
    Engineer:Doug Hawkins
    Recorded at WOR Sludio
    Cover Photo:Francis Wolff
    Cover Design:John Hermansader

    2015年12月27日日曜日

    『The Eminent Jay Jay Johnson Volume 1』BLP 1505

     
    The Eminent Jay Jay Johnson Volume 1

    1. "Capri"   Gigi Gryce 3:37
    2. "Lover Man"   Jimmy Davis, Roger ("Ram") Ramirez, James Sherman 3:50
    3. "Turnpike"   J. J. Johnson 4:15
    4. "Sketch 1"   John Lewis 4:21
    5. "It Could Happen To You"   Johnny Burke, Jimmy Van Heusen 4:42
    6. "Get Happy"   Harold Arlen, Ted Koehler 4:47
    7. "Capri [alternate take]"   Gryce 3:47
    8. "Turnpike [alternate take]"   Johnson 4:10
    9. "Get Happy [alternate take]"   Arlen, Koehler 4:11

    Released:1955
    Recorded:June 22, 1953
    Genre:Jazz
    Length:37:44
    Label:Blue Note


    アルバム・ストーリー
    ある白人ジャズ評論家は「ビパップはしょせんはビールの泡(ビアー・ホップ)だった」と嘲笑まじりに榔撤する。1950年代初頭、ビパップの炎は消えつつあった。

    1940年代後半、アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーを中心として巻き起こった"ピパップ"と呼ばれる新しいジャズのムーブメントは「革命」だった。だがパーカーが第一音を吹き放った瞬間、その「革命」は「終わりのはじまり」を迎えていた。レコード一枚あたりのプレス枚数は限られていた。販路はあってないようなものだった。革命の音楽が大衆の耳に届く機会はほとんどない。届いたとしても理解されることはむつかしかった。「革命」はニューヨークのハーレムから52丁目にかけて局地的なものにとどまる。

    ビバップの停滞は、やがてビバップを基本により聴きやすくした”ハード・バップ”を生む。だが40年代後期から50年代初頭にかけて、チャーリーパーカーの次世代にあたる若き革命家たちにとっては長く暗いトンネルに置き去りにされたも同然だつだ。トロンボーンの名手として脚光を浴び、有能な作曲家としてしても嘱望悶望されていたJJ ジョンソンもそのトンネルのなかの一人だった。ジャズの未来に絶望したJ・J は28歳の若きで第一線から身を引き、ロングアイランドで一般職につく。狭い事務所の机の上、それがJJ ジョンソンに与えられたステージだった。

    ブルーノー卜へのレコーディングは1950O年、トランペッターのハワード・マギーのメンパーとして参加したのが最初で最後。引退中の1952年、JJが参加したブルーノー卜のレコーディングはマイルスデイヴィスとの4曲のみ。翌53年4月にも例外的にマイルスのレコーディングに参加するが、これがきっかけとなって2ヶ月後、ブルーノートにおける初のリーダーとしてのレコーディングが行なわれる。トランペットにクリフォード・ブラウン、テナー・サックスにジミー・ヒー ス、そしてリズム・セクションに結成されたばかりのモダン・ジャズ・カルテットの3人を起用した演奏は、混沌としたピパップの喧騒を脱した響きが瑞々しい。とくにJJ 作《ターンバイク》、ジジ・グライス作《カプリ》。
    きたるべきハード・パップの時代は「作曲」から口火を切る。


    2015年12月26日土曜日

    『The Eminent Jay Jay Johnson Volume 2』BLP 1506

     
    Tracklist
    "Daylie" Double   
    Pennies From Heaven   
    You're Mine You   
    Turnpike (Alternate Master)   
    It Could Happen To You   
    Groovin'   
    Portrait Of Jennie   
    Viscosity   
    Time After Time   
    Capri (Alternate Master)


    Studio album by J. J. Johnson
    Released:1954‐1955
    Recorded:September 24, 1954; June 6, 1955
    Genre:Jazz
    Label:Blue Note

    アルバム・ストーリー
    SPからLPへ。さらに10インチLPの時代を経て12インチLPが主流になるまで、ブルーノートもまたニュー・メディアへの対応に追われる。1500番台の初期のアルバムは主に10インチで発売されたものに、未発表テイクを加えて12インチ化された。新しくできた2インチの溝を埋める最も簡単な方法。だがアルフレッド・ライオンはそのわずか「2インチ」にこだわる。ブルーノー卜の「氷遠」は、この「2インチ」から生まれた。

    いかに物語性をもたせるか。それがライオンのこだわりだった。同じミュージシャンのアルバムが連番でつづく場合はさらにこだわった。「2枚で1枚」。それがライオンの狙いであったととは、ジャケットに同一デザインが用いられていることからわかる。つまりは物語の前編と後編。そうして関連性をもたせることによって「そこになかった」はずのドキュメント性を生み出す。そのドキュメント性こそライオンが考えた「物語」だ。

    JJ.ジョンソンの2枚も例外でなく、1953、54、55年にレコーディング、3枚の10インチLPとして発売された演奏を中心に構成される。だがライオンはそれらを録音順に収録することを避け、あたかもオリジナル・ルパムであるかのような物語性を演出する。1500番台初期において、この2枚のアルバムほどライオンが「読ませる」物語を描いたものはない。ビパップからハード・パップへ。即興演奏からグループ表現へ。これら二枚のアルバムは、一人のトロンボーン奏者が時代の海をいかに泳ぎきったかを雄弁に語る。

    1953年の演奏は、ピパップから脱した最初の一歩を記す。それだけにどパップの影はそこかしこに漂う。それが54年になるとほとんど姿を消す。そして、新しいジャズは新しい才能を運んでやってくる。ウィントン・ケリー。にもかかわらず『Vol 2』に収録された55年の演奏は、そのケリーが参加した
    演奏でさえ過渡期にすぎなかったことを逆説的に伝える。だがライオンが書いた物語は、そうした移行の結果ではなく「経過そのもの」だった。2回目のレコーディングが行なわれた1954年以降、J.J のステージは机からジャズ・クラブになる。

    J・J.ジョンソン、2001年2月4日、ピストル自殺を遂げる。享年77。



    At the Cafe Bohemia, Vol. 1 BLP1507















    Tracklist
    1.Announcement by Art Blakey 1:32
    2."Soft Winds" 12:34
    3."The Theme" 6:11
    4."Minor's Holiday" 9:11
    5."Alone Together" 4:15
    6."Prince Albert" 8:51
    7."Lady Bird" (reissue bonus track) 7:30
    8."What's New-" (reissue bonus track) 4:31
    9."Deciphering the Message" (reissue bonus track) 10:13

    Released:Early April 1956
    Recorded:November 23, 1955
    Cafe Bohemia, New York City
    Genre:Hardbop
    Length:41:54 (original LP)
    Label:Blue Note Records BLP 1507
    Producer:Alfred Lion

    2015年12月24日木曜日

    At the Cafe Bohemia, Vol. 2  BLP1508

     












    Tracklist
    1. "Sportin' Crowd" Hank Mobley 7:32
    2. "Like Someone in Love" Johnny Burke and Jimmy Van Heusen 9:18
    3. "Yesterdays" Harbach and Jerome Kern 4:20
    4. "Just One of Those Things" Cole Porter 9:29
    5. "Hank's Symphony" Hank Mobley 4:44
    6. "Gone with the Wind" Herb Magidson and Allie Wrubel 7:27
    7. "Avila and Tequila" Hank Mobley 12:49
    8. "I Waited for You" Fuller and Gillespie 9:50

    Released:1955
    Recorded:November 23, 1955
    Genre:Hard bop
    Length:62:15
    Label:Blue Note Records (1955)
    Producer:Michael Cuscuna Alfred Lion

    2015年12月23日水曜日

    『Milt Jackson and The Thelonious Monk Quintet 』 BLP1509

     

    Milt Jackson and The Thelonious Monk Quintet

    Side 1:
    1. "Tahiti"
    2. "What's New?"
    3. "Bags' Groove"
    4. "On the Scene"
    5. "Willow Weep for Me"
    Side 2:
    1. "Criss Cross"
    2. "Eronel"
    3. "Misterioso" (alternate master)
    4. "Evidence"
    5. "Lillie" (alternate master)
    6. "Four in One" (alternate master)
    アルバム・ストーリー
    リーダーにはなりたくなかった。楽器はなんでもこなせた。ギター、ヴァイオリン、ピアノ、ドラムス、ティンパニ、ザイロフォン、ヴアイブ。故郷デトロイトにいたころはエヴアンゲリスト・シンガーズというゴスペル・グループで歌っていた。だが、リーダーにだけはなりたくなかった。「だって、あれこれ責任を負わなくちゃならないだろ?私は面倒なことがだいきらいな性分なんだ」(ミルト・ジャクソン)

    レコーディングの話がきたときは、だから仲間のピアニスト、ジョン・ルイス、べースのレイ・ブラウン、ドラムスのケニー・クラークにこう言った。「リーダーは俺じゃない、みんなの音楽をやるんだ」。やがてレイ・ブラウンは、そのころ妻だった歌手エラ・フイツツジェラルドとの仕事を選ぶ。ベースにパーシー・ヒースを迎えたグループは1952年4月、ブルーノートに5曲のレコーディングを残す。8ヶ月後、グループはグモダン・ジャズ・カルテットグと名乗る。ドラマーがケニー・クラークからコニー・ケイに代わる。ミルト・ジャクソンの理想どおり、リーダーのいないグループの歴史がはじまる。

    謎かけか。「1509」のジャケットには、ミルト・ジャクソンのアルバムでありながら、小さくグ・・・セロニアス・モンク・クインテットと添えられている。表現に不思議はない。そのモンクのクインテットにはミルト・ジャクソンも参加している。それが「ミルト・ジャクソンのアルバム」 に併録されているにすぎない。だがこの小さく添えられた表記は、つづく2枚のセロニアス・モンクのアルバムを暗示する。しかもその2枚のアルバムのいくつかの曲にもミルト・ジャクソンは参加している。さらにはこの「1509」にしても、すべての曲、がミルト・ジャクソンのリーダーレコーディングによるものではない。

    解けない謎はない。ライオンは「1509」から「1511」までをモンクの作品集として捉えた。あえて3枚シリーズにしなかったのは、セールスを懸念してのことだ(ライオンの不安は、2枚に減らしたところで的中する)。そしてこの事実は、ライオンがモンクをピアニストとしてと同時に、あるいはそれ以上に作曲家として評価していたことを伝える。セロニアス・モンクという名の山脈は、この「1509」からはじまっていた。

    2015年12月22日火曜日

    『Thelonious Monk』 BLP-1510

























    『Thelonious Monk』 BLP-1511







    『Detroit – New York Junction』BLP 1513















    Track list
    All compositions by Thad Jones except as indicated
    1."Blue Room" (Lorenz Hart, Richard Rodgers) - 6:48
    2."Tariff"- 5:32
    3."Little Girl Blue" (Hart, Rodgers) - 2:52
    4."Scratch" - 10:32
    5."Zec" - 8:46

    Recorded at Audio-Video Studios in New York City on March 13, 1956
    Personnel
    Thad Jones - trumpet
    Billy Mitchell - tenor saxophone (tracks 1, 2, 4 & 5)
    Tommy Flanagan - piano (tracks 1, 2,4 & 5)
    Kenny Burrell - guitar
    Oscar Pettiford - bass
    Shadow Wilson - drums (tracks 1, 2, 4 & 5)

    Released:1956
    Recorded:March 13, 1956
    Genre:Jazz
    Length:34:30
    Label:Blue Note
    Producer:Alfred Lion


    ブルーノー卜のライヴァル会社プレステイツジ・レコードで働いていたジャズ史家ボブ・ポーターは、両社のちがいを明確に語る。「ブルーノートとプレステイツジのちがいは、2日間のリハーサルだった。すなわち「ぶっつけ本番」であったプレスティッジに対し、ブルーノートは事前にリハーサルを設け、さらにはわずかながらもギャランティを保証した。プレステイツジが例外だったのではない。リハーサルを要求し、それに対してギャラまで支払っていたブルーノートこそが例外だった。

    1950年代から生涯の友としてライオンと交流をもったイギリス人プロデューサー、トニー・ホールは語る。「アルフレッドは演奏の総体的な出来を重視した。かりにソロの内容が別のテイクのほうがよかったとしても、それをマスター・テイクの基準にすることはなかった。ソロよりも全体を取った。そして、テーマとアンサンブルが完壁に演奏されることを望んだ。」

    つまりは個人技よりもグループ表現とレヴェル。ライオンの哲学はハード・パップの理念と合致する。ブルーノー卜のハード・パップ化は必然だった。ブルーノートの個性、アルフレッド・ライオンの姿勢は、プレステイツジやその他のジャズ・レーベルに無数に転がっているオーソドックスなジャズ・アルバムと同列に置いたときこそ映える。

    このサド・ジョーンズのアルバムは、その意味でもっともブルー ノートらしい、ライオンらしい一枚だ。なんの仕掛けもないジャズ。企画性といえば5曲中4曲をサドのオリジナルでかためたこと、それにデトロイトをはじめとするミシガン州出身のミュージシャンを何人か起用、タイトルを”デトロイト・ニューヨーク交差点”とし、ジャケットを交通標識に見立ててデザインしたことくらいだ。

    アート・ディレクター、リード・マイルスはいつものように50ドルのギャラでこのジャケットをデザインした。だがブルーノートとライオンの魔法は聴けばたちどころにわかる。「2日間のリハーサル」を経たことによって、このなんの仕掛けもない演奏は「作品」としての香りを放っ。その「香り」こそがプレステイツジその他のジャズ・アルバムに希薄なものだった。


    『The Champ 』 BLP-1514















    Tracklist
    1."The Champ" (Dizzy Gillespie)
    2."Bayou" (Smith)
    3."Bubbis" (Smith)
    4."Deep Purple" (DeRose, Parish)
    5."Moonlight in Vermont" (Blackburn, Suessdorf)
    6."Ready 'N Able" (Smith)
    7."Turquoise" (Smith)


    Released:1956
    Genre:Soul jazz, hard bop
    Label:Blue Note

    8分36秒。鳴りやまないオルガンのサウンドが豪雨となって降りそそぐ。《ザ・チャンプ》。アルバムの一曲目を飾るこの演奏をジミー ・スミスの最高傑作とする人は多い。チャーリー・パーカーとコンビを組んでいたトランペツター、デイジー・ガレスピーがつくった曲にがオルガンのチャーリー・パーカーがソウルを叩きつける。いまも十分に衝撃的なスミスの演奏は「1956年の人々」 を混乱に陥れる。

    エンジニア、ルディ・ヴアン・ゲルダーは約1か月前のレコーディング(1512)でこの曲の録音に失敗する。それがマスターテープが廃棄された理由だ。ジミー・スミスとオルガンの登場は、この録音の名手をも戸惑わせた。一度は消滅した《ザ・チャンプ》はこの2枚目のアルバムにおいて再演され、完全なるかたちで収められる。「1512」と「1514」の間にはヴアン・ゲルダーによる「ジミー・スミス・サウンドの発見」が横たわっている。

    レコーディングは1956年3月、すなわち「1512」、が発売されていないにもかかわらず行なわれる。やがてブルーノートのドル箱となるスミスは1500番台に13枚ものリーダー・アルバム、そのアルバムから抜粋された20枚もの45回転シングル盤を残すが、「売れる」という側面があったにせよ、この初期2枚のアルバムが物語っているように、背景にあったのは、またしてもライオンの衝動だけだった。8分を超える《サ・チャンプ》をノーカットでシングル盤にしたい。方法はひとつしかない。演奏を分断して両面に収録する。ライオンは、そうした。アルバムにせよシングル盤にせよ「売れる」保証はどこにもない。いや、むしろ「売れない」公算のほうが大きかった。

    「販売業者の反応はよくなかった。”何者だ、ジミー・スミスって? (レコードを聴かせる)まるで鳥がさえずっているみたいだな。じつに、じつに不思議だ。(しばし考えたのち)そうだな、まあ10枚もらっておくか”そんな感じだった」(ウルフ) 1950年代、ヒットの口火はジューボックスによって切られた。「1512」から3枚、「1514」から2枚ジュークボックス用シングル盤によってジミー・スミス人気に火がつ
    く。 あとは・・・これまでと同じようにレコーディングをつづけるだけだった。



    『Jutta Hipp At The Hickory House, Vol. 1』 BLP 1515
















    Track list Volume 1
    1."Take Me in Your Arms" (Fred Markush) - 4:54
    2."Dear Old Stockholm" (Traditional) - 4:44
    3."Billie's Bounce" (Charlie Parker) - 4:06
    4."I'll Remember April" (Gene de Paul, Patricia Johnston, Don Raye) - 3:52
    5."Lady Bird" (Tadd Dameron) - 3:52
    6."Mad About the Boy" (Noel Coward) - 3:47
    7."Ain't Misbehavin'" (Harry Brooks, Andy Razaf, Fats Waller) - 5:02
    8."These Foolish Things" (Harry Link, Eric Maschwitz, Jack Strachey) - 3:59
    9."Jeepers Creepers" (Johnny Mercer, Harry Warren) - 8:46
    10."The Moon Was Yellow" (Fred E. Ahlert, Edgar Leslie) - 4:54

    『Jutta Hipp At The Hickory House, Vol. 2』 BLP 1516















    Track list Volume 2
    1."Gone With the Wind" (Herb Magidson, Allie Wrubel) - 4:50
    2."After Hours" (Avery Parrish) - 4:40
    3."The Squirrel" (Dameron) - 3:46
    4."We'll Be Together Again" (Carl Fischer, Frankie Laine) - 3:15
    5."Horacio" (Jutta Hipp) - 3:20
    6."I Married an Angel" (Lorenz Hart, Richard Rodgers) - 4:24
    7."Moonlight in Vermont" (John Blackburn, Karl Suessdorf) - 3:24
    8."Star Eyes" (Gene de Paul, Don Raye) - 4:01
    9."If I Had You" Irving King, Ted Shapiro) - 3:54
    10."My Heart Stood Still (Hart, Rogers) - 4:21

    『Patterns in Jazz』BLP 1517

















    Studio album by Gil Melle
    Tracklist
    All compositions by Gil Melle except as indicated1."The Set Break" - 4:48
    2."Weird Valley" - 5:13
    3."Moonlight in Vermont" (John Blackburn, Karl Suessdorf) - 4:52
    4."Long Ago (And Far Away)" (Ira Gershwin, Jerome Kern) - 4:32
    5."The Arab Barber Blues" - 9:05
    6."Nice Question" - 8:17

    Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey on April 1, 1956.
    Personnel
    Gil Melle - tenor saxophone, baritone saxophone
    Eddie Bert - trombone (tracks 1-4)
    Joe Cinderella - guitar
    Oscar Pettiford - bass
    Ed Thigpen - drums
    Studio album by Gil Melle
    Released:1956
    Recorded:April 1, 1956
    Genre:Jazz
    Length:36:47
    Label:Blue Note
    Producer:Alfred Lion


    「ギル・メレはいいバンドをもっていた。彼はそのバンドで4曲をレコーディングし、それはプログレッシヴ・レコードから出たと思う(注:実際はトイアンフ・レコード)。アルフレッドは、その”サウンド” に惹かれた。つまりレコーディングされた”音質”にということだ。そこでライオンは音源を買い取り、あらたに4曲をレコーディングして10インチLPで出そう考えた。

    アルフレッドはメレの4曲、が入っているレコードをもって、あるエンジニアのところに行った。そして、こう言ったそうだ。”このサウンドが欲しいんだ”だがそのエンジニアはこうこたえた。”私には無理だ。誰かほかのエンジニアを探してくれ”。私がその”誰か”だったってわけだ(ルディ・ヴァン・ゲルダー)

    「あるエンジニアことを話したが、アルフレッドは気乗りがしない様子だった。だが彼はとにかくそのスタジオに行った。彼はスタジオを見回した。エンジニアはいくつかレコーディングしたテープを聴かせた。アルフレッドが私のところにきて言った。”こにしよう”そうしてアルフレッド・ライオンとルディ・ヴァン・ゲルダーは出会った」(ギル・メレ)

    ブルーノートの代名詞である”ヴアン・ゲルダー・サウンド” の生みの親は、21歳のギル・メレが自主制作に近いかたちで録音した4曲の「オト」だった。建築学や幾何学の要素をジャズに取り入れ、ジャズの新しいパターンを創造する。ギル・メレはそう考えた。すでにブルーノートには先の4曲を含む4枚の10インチLPを残していたが、デザイナーとしても腕をふるい、何枚かの10インチのジャケットを”幾何学的デザイン” で彩っている。その名も『パターンズ・イン・ジャズ』は、この”変わった若者” が12インチの時代になってはじめて取り組んだアルバムとなる。

    ギルが作曲したオリジナル曲は、テーマ部分がまるで複雑な構造をもった建造物のように入り組み、まさに幾何学的パターンを描きつつ展開する。おそらくはもっともリハーサルを要したレコーディングだったにちがいない。緻密にアレンジされた、一寸の狂いもないサウンドの建造物。だがそれはニューヨークの実験的なジャズが大陸を隔てた西海岸のジャズとつながっていたことを「50年後に」伝えるものとなる。




    『Horace Silver and the Jazz Messengers 』BLP 1518

     

    Tracklist
    All songs written and composed by Horace Silver except where noted..
    Side 1
    1. "Room 608" (*) 5:22
    2. "Creepin' In" (*) 7:26
    3. "Stop Time" (*) 4:07
    4. "To Whom It May Concern" (**) 5:11
    Side 2
    5. "Hippy" (**)   5:23
    6. "The Preacher" (**)   4:18
    7. "Hankerin'" (**) Hank Mobley 5:18
    8. "Doodlin'" (*)   6:45
    (*) Originally released on 10" LP Horace Silver Quintet (BLP 5058)
     (**) Originally released on 10" LP Horace Silver Quintet, Vol. 2 (BLP 5062)
    Personnel
    Performance
    Horace Silver - piano
    Kenny Dorham - trumpet
    Hank Mobley - tenor saxophone
    Doug Watkins - bass
    Art Blakey - drums
    Production
    Alfred Lion - production
    Reid Miles - design
    Rudy Van Gelder - engineering
    Francis Wolff - photography

    アルバム・ストーリー
    ホレス・シルヴァーが最初のリハーサルで《ドゥードリン》を弾いたとき、ライオンは満足した。だが2回目のリハーサルで、やがて最大のヒット曲のひとつになる《ザ・プリーチャー》を弾いたとき、こう思った。「なんとつまらない曲を書いたんだろう」。それはシルヴァーがイギリスに伝わる《ショウ・ミー・ザ・ウェイ・トゥ・ゴーホーム》という曲をヒントに書いた自信作だった。

    ライオンは《ドゥードリン》とその「つまらない曲」をカップリングして、45回転シングル盤として発売する。《ザ・プリーチャー》は捨て曲のようなものだった。だが、これが売れた。売れに売れた。黒人が日常的に音楽に接することができるパーやクラブに設置されていたジュークボックスでは何度も何度もこのシングルがかかった。とくに《ザ・プリーチヤー》に人気が集中する。ジミー・スミス同様、ブルーノートのドル箱となるホレス・シルヴアーもまたジュークボックスから火がついた。

    このアルバムはブルーノートで唯一、シルヴァー名義で発売されたジャズ・メッセンジャーズの作品だが、実質的にはジャズ・メッセンジャーズ誕生以前に行なわれたシルヴァーの二回にわたるレコーディングを12インチLP化したものだった。メンバーがまったく同じであること、またこのメンバーによるジャズ・メッセンジャーズのアルバムがすでに発売されていたことから、いわば「もう一枚のジャズ・メッセンジャーズ」として送り出す。

    ハンク・モブレー作の《ハンカリン》を除く全曲がシルヴァーのオリジナル。アルバムはシルヴァーが滞在していた安宿の部屋番号をタイトルにした《ルーム608》から、ライオンがいう「つまらない曲」を経て《ドゥードリン》まで、間断なく転がるようにファンキーに、ソウルフルに展開する。すでにジャズ・メッセンジャーズのサウンドと個性は、シルヴァーが書いた「曲という器」のなかで産声をあげていた。

    晩年、ライオンはジャズ・プロデューサー、マイケル・カスクーナに質問を受ける。「いまでも《ザ・プリーチヤー》はダメですか」。80歳になろうとしていた元プロデューサーはこたえた。「いまでもあの曲はコーニー(corny)だと思っている」

    『Herbie Nichols Trio』 BLP1519






















    Track list
    All compositions by Herbie Nichols except as indicated
    1."The Gig" - 4:27
    2."House Party Starting" - 5:41
    3."Chit-Chatting" - 4:04
    4."Lady Sings the Blues" - 4:25
    5."Terpsichore" - 4:01
    6."Spinning Song" - 4:56
    7."Query" - 3:29
    8."Wildflower" - 4:06
    9."Hangover Triangle" - 4:05
    10."Mine" (George Gershwin, Ira Gershwin) - 4:03

    『Horace Silver Trio and Art Blakey-Sabu』BLP 1520

     

    TrackList
    Original LP
    All songs written and composed by Horace Silver except where noted.
    Side A
    1. "Safari" (*)     2:47
    2. "Ecaroh" (*)     3:10
    3. "Prelude to a Kiss" (*) Irving Gordon, Irving Mills Duke Ellington 2:47
    4. "Message from Kenya" (**)   Art Blakey 2:47
    5. "Horoscope" (*)     3:47
    6. "Yeah" (*)     2:45
    Side B
    1. "How About You?" (**) Ralph Freed Burton Lane 3:40
    2. "I Remember You" (**) Johnny Mercer Victor Schertzinger 3:52
    3. "Opus de Funk" (**)     3:26
    4. "Nothing But the Soul" (**)   Art Blakey 4:07
    5. "Silverware" (**)     2:34
    6. "Day In, Day Out" (**) Johnny Mercer Rube Bloom 3:00

    アルバム・ストーリー
    マンハッタン、116丁目にあったレンタル・スタジオ、ナビーズは若いミュージシャン御用達だった。なにしろレンタル料が1時間で50セント、ホレス・シルヴァーとアルト・サックス奏者ルー・ドナルドソンはそのレンタル・スタジオでたまたま出会った。いっしょにやらないか。どちらからともなく言い出す。二人で借りれば一人25セントですむじゃないか。この節約がルー・ドナルドソン・カルテットへと発展する。ドナルドソンのほうがシルヴアーより二歳年上だった。ベースはジーン・ラミー、ドラムスはアート・プレイキー。

    1952年、初夏。ドナルドソン・カルテットが出演していたクラブにアイク・ケベックがライオンをともなって姿をみせる。演奏を聴いたライオンはその夜、その場でレコーディングを申し出る。ただしライオンが興味をもったのは、ルー・ドナルドソンだけだった。だがドナルドソンはいまのグループでレコーディングすることを希望し、ライオンも承諾する。「そりゃそうだろ、曲が書けたのはホレスだけだったんだから」(ドナルドソン)その年の6月、ドナルドソン・カルテットはブルーノー卜で初のレコーディングを行なう。さらに二回目が同年10月に予定される。だが、待てど暮らせどドナルドソンが姿をみせる気配はない。すでにシルヴアーの才能を発見していたライオンが提案する。どうだい、君たちだけでレコーディングするっていうのは。ホレス、新しい曲はあるかな?

    きのうも1時間50セントのレンタル・スタジオでリハーサルしたばかりだ。新しい曲?ほらこんなにあるさ。11日後、シルヴアーのトリオはふたたびレコーディングに臨み、それら二回のレコーディングからシルヴァーのブルーノー卜におけるデビュー作が10インチLP『イントロデューシング・ザ・ホレス・シルヴアー・トリオ』として登場する。

    この「1520」は、そのデビュー作に1953年11月録音の7曲を加えて構成された。《ナッシング・パット・ザ・ソウル》はプレイキーのドラム・ソロ、《メッセージ・フロム・ケニア》はプレイキーとラテン・パーカッション奏者サブー・マルテイネスのデュエット。にもかかわらずグホレス・シルヴァーのアルバムとして成立している事実は、ライオンがすでにこの時点でシルヴァーの音楽が「どこからきたか」を知っていたことを物語る。

    2015年12月21日月曜日

    『A Night at Birdland Vol. 1』BLP 1521


    Tracklist
    Side 1
    1. "Announcement by Pee Wee Marquette"    0:58
    2. "Split Kick"     Horace Silver 8:44
    3. "Once in a While"   Bud Green Michael Edwards 5:18
    4. "Quicksilver"     Horace Silver 6:58
    Side 2
    5. "A Night in Tunisia" (Originally released on A Night at Birdland Vol. 2
      Dizzy Gillespie, Frank Paparelli 9:20
    6. "Mayreh" (Originally released on A Night at Birdland Vol. 2 [BLP 5038])   Horace Silver 6:19
    Total length: 37:37

    Live album by Art Blakey
    Released:July 1954 (10") August 1956 (12")[1]
    Recorded:February 21, 1954
    Birdland, New York City
    Genre:Jazz, Hard bop
    Length:21:58
    Label:Blue Note BLP 5037
    Producer:Alfred Lion


    アルバム・ストーリー
    ジャズ・クラブ『パードランド』は1949年12月、ブロードウェイ、52丁目、1678番地に開店した。
    別称”ジャズ・コーナー・オブ・ザ・ワールド"。
    当初ライオンはホレス・シルヴァーとアー卜・ブレイキーを中心にトランペット、サックスを加えた"ブルーノート・オールスターズ" のライヴ・レコーディングを企画する。
    ラジオの生放送を例外として、レコード会社が特定のアルバムのためにジャズ・クラブでライヴ・レコーディングする例は、まだほとんどなかった。
    1945年2月21日、日曜、深夜11時からはじまった演奏は5セットに及び、翌朝3時に終了する。
    "バードランドの夜"は同店の名物ドアボーイ兼司会者、小人のピー・ウィー ・マーケットの鼻にかかった、かん高い声のアナウンスとともに訪れる。演奏がはじまったとたん、ライオンは歴史的な一夜になることを確信する。
    それはすなわち歴史的なアルバムの誕生を意味する。
    ライオンはドキュメント性を重視し、ピー・ウィー・マーケットのアナウンスをあえて冒頭に収録した。それはジャズ・ファンなら誰もが理解できる"ジャズ語" だった。

    2015年12月20日日曜日

    『A Night at Birdland Vol. 2』BLP 1522















    Tracklist
    1. "Wee Dot"     J.J. Johnson, Leo Parker 7:19
    2. "If I Had You" (Originally released on A Night at Birdland Vol. 3 [BLP 5039]) Jimmy Campbell and Reg Connelly Ted Shapiro 3:31
    3. "Quicksilver [alternate master]" (previously unreleased)   Horace Silver 8:46
    Side 2
    4. "Now's the Time" (Originally released on A Night at Birdland Vol. 3 [BLP 5039])   Charlie Parker 9:02
    5. "Confirmation" (Originally released on A Night at Birdland Vol. 3 [BLP 5039])  

    Live album by Art Blakey
    Released:October 1954 (10")
    Mid December 1956 (12")[1]
    Recorded:February 21, 1954
    Birdland, New York City
    Genre:Jazz
    Length:22:58
    Label:Blue Note Records BLP 5038
    Producer:Alfred Lion

    アルバム・ストーリー
    チャーリー・パーカーはその若いトランペッター のことを忘れてはいなかった。1951年の夏、たった一週間しか共演しなかったトランペッターは、天才"バード"に強烈な印象を残していた。
    ブレイキーがフィラデルフィに行くと聞いたパーカーは、こう言った。「おい、トランペツターは連れていかなくていいぜ。あそこにはものすごいペット吹きがいる。そいつを使え。名前?たしかクリフォード・ブラウンとかいったな」
    プレイキーがフィラデルフィアのクラブ『ブルーノート』の楽屋に入ろうとすると、戸口で「パーカーをまいらせた」若いトランペッターが待っていた。「いま田舎から出てきたばっかりのようにみえた。純朴な青年であることはすぐにわかった。トランペットはボロポロだった。
    だが彼はその"ボロボロ"で信じられないような演奏をした」(ブレイキー)
    この二枚のアルバムでは、そのクリフォード・ブラウンが「信じられないような演奏」をくりひろげる。そしてルルー・ドナルドソンが負けじと熱いブロウで応酬し、カーリー・ラッセルがグルーヴを間断なく送り込む。
    ホレス・シルヴァー が疾走し、ファンクとソウルを注ぎ込む。
    背後でプレイキーがトレードマークである"ドアのノック" をくり返す(一例。《クイックシルヴァー》の別テイク、0分22秒、0分50秒〉。
    だが、すべてがすべて偶然の結果ではなかった。ライオンはライヴ・レコーディングを思い立つやバンドを2週間『パードランド』に出演させ、十分に「本番という名のリハーサル」を積むことを提案する。賭けにも似たライヴ・レコーディングがわずか一夜しか行なわれなかったた事実は、ライオンの確信が絶対的なものであったことを示す。

    歴史は夜、ほんとうに「つくられた」 当夜『パードランド』にいたジャズ評論家アイラ・ギ卜ラーの回想。「それはすごい演奏だっ た。客はみんな熱狂していた。ホレスがブルースを弾きはじめたときだった。パーに立っていた男が妙なアクセントで"r" を転がしながら興奮した言葉を発しているのが聞こえた。その男はこう言っていた。"Yeah,dot's fenky, cherchy grroovy," ドイツ人のあの男、アルフレッド・ライオンだった」


    『Introducing Kenny Burrell』BLP 1523














    Tracklist
    All compositions by Kenny Burrell except as indicated
    1."This Time the Dream's on Me" (Arlen, Mercer) - 5:00
    2."Fugue 'N Blues" - 6:48
    3."Takeela" - 4:19
    4."Weaver of Dreams" (Elliott, Young) - 4:43
    5."Delilah" (Young) - 6:04
    6."Rhythmorama" (Kenny Clarke) - 6:28
    7."Blues for Skeeter" - 8:08
    Recorded on May 29 (tracks 2, 3, 5) and May 30 (tracks 1, 4, 6 & 7), 1956.

    Personnel
    Kenny Burrell - guitar (tracks 1-5 & 7)
    Tommy Flanagan - piano (tracks 1-5 & 7)
    Paul Chambers - bass (tracks 1-5 & 7)
    Kenny Clarke - drums
    Candido - conga (tracks 1 & 3-7)


    25歳のデトロイト出身のギタリスト、ケニー・バレルのブルーノートにおける初レコーディングは、1956年3月12日、トランペッター、サド・ジョーンズのメンバーとしてのものだった。だがこのときレコーディングされたのはわずか1曲、しかもライオンはそのテープを廃棄したことから、きたるべきレコーディングに備えてのリハーサルだった公算が強い。そのサドがスタジオを去った直後、今度はバレルをリーダーとしたレコーディングが行なわれる。

    テナー・サックスのフランク・フォスターがスタジオに現れ、その他のメンバーはそのままバレルのために演奏する。レコーディングはさらにその翌13日にも行なわれる。今度はサド・ジョーンズがリーダーになり、バレルは一メンバーに徹する。それがサド・ジョーンズの『デトロイト・ニューヨーク・ジヤンクション』(1513)になる。

    サド・ジョーンズのリハーサル(12日)と本番(13日)の聞に行なわれたバレルの演奏はどこへいったのか。ライオンは十分に水準に達していると判断したが、この若きギターの逸材の才能を世に知らしめるデビュー-アルバムとしては「弱い」と考えた。もっと、もっと強力な演奏ができるはずだ。原因はメンバー構成にあるとする。

    2ヶ月後、ピアノの卜ミー・フラナガンはそのままにその他のメンバーを総入れ替えし、さらに、コンガ奏者キャンディドを加える。しかもレコーディングには連続して2日間あてる。ギタリストと縁の深かったブルーノートにとって、ケニー・バレルはライオンが久々に手にした若き才能であり、輝かしい未来だった。12インチLP時代に突入したブルーノートにとって初のギター・アルバムがここに誕生する。

    きのうよりもきょう、きょうよりも明日をみすえていたライオンの叡献は、多くのミュージシャンに初レコーディングの機会を与え、同時に初リーダー・アルバムを残すことにつながる。だがケニー・バレルのデビュー作ほど完成度の高いものはそうはない。同時に、バレルのアルバムでありながら、ケニー・クラークとキャンディドによる打楽器だけの6分を超えるデュエットを収録したことは、構成上の演出もさることながら、ライオンの興味が”リズム” に向かいつつあったことを示す。それは1年後、「1554・1555」で爆発する。



    『'Round About Midnight at the Cafe Bohemia』BLP1524



















    Track list
    All tracks written by Kenny Dorham, except where indicated.

    1."Mexico City"
    2."Monaco"
    3. "'Round About Midnight" (Thelonious Monk)
    4. "A Night in Tunisia" (Dizzy Gillespie, Frank Paparelli)
    5. "Autumn in New York" (Vernon Duke)
    6. "Hill's Edge"

    『Jimmy Smith at the Organ』BLP-1525

     

















    Tracklist
    All compositions by Jimmy Smith except as indicated1."Judo Mambo" - 5:31
    2."Willow Weep for Me" (Ann Ronell) - 5:41
    3."Lover, Come Back to Me" (Oscar Hammerstein II, Sigmund Romberg) - 6:42
    4."Well, You Needn't" (Thelonious Monk) - 6:23
    5."Fiddlin' the Minors" - 5:08
    6."Autumn Leaves" (Joseph Kosma, Johnny Mercer, Jacques Prevert) - 4:43
    7."I Cover the Waterfront" (Johnny Green, Edward Heyman) - 3:38

    Studio album by Jimmy Smith
    Released:1956
    Recorded:June 17 & 18, 1956
    Genre:Jazz
    Length:66:01
    Label:Blue Note
    Producer:Alfred Lion

    4ヶ月前、はじめてレコーディング・スタジオに足を踏み入れた30歳のオルガン奏者は、緊張から言葉数が少なかったという。ミュージシャンにとってもはじめての経験なら、プロデューサーやエンジニアにとっても、なにもかもがはじめてのことだった。それはいまにしてみれば、ジャズの世界と、ニュージャージー州ハツケンサックのヴァン・ゲルダー・スタジオにはじめて鳴り渡った”エレクトリック・サウンド” だった。

    エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーは《ザ・チャンプ》の録音に失敗し、プロデューサー、アルフレッド・ライオンは「ドラマーに難あり」 と結論を下す。オルガン奏者ジミー・スミスは、「ここをジャズ・クラブと思えばいい。いつもクラブ でやっているようにやればいい」というライオンの言葉を受けて、
    ブルーノートからのデビュー作を録音した(1512〉。

    ライオンの行動は素早かった。約1ヶ月後に行なわれた2回目のレコーディングから、ドラマーが”ドナルド・ダッグ”というニックネームをもっドナルド・ベイリーに代わる。そして懸案の《ザ・チャンプ》が生まれる(1514)。

    ジミー・スミスのリーダー・アルバムは1500番台に最多の22枚を数える。それだけ売れていたと結論づけるのは簡単だが、ライオンが執拗にこのオルガン奏者をレコーディングしていた時点では、まだ売れるかどうかさえわからない「無謀な賭け」だった。例によって、惚れ込んだら突き進むライオンは、この新しい興奮を運んでくるオルガン奏者をレコーディングしなければ「ならなかった」。

    だがジミー ・スミスの人気に火がつくのは時間の問題だった。オルガンという、黒人にとってもっとも身近な楽器をまるで曲芸のように自在に操る男は、同胞である聴衆が求めてやまない興奮とグルーヴをもっともわかりやすいかたちで表現した。聴衆は「あの男には手が4本ある」と騒ぎ、ジュークボックスに群がった。

    アルバムは3枚つくった。そろそろライヴ・レコーディングしてみるか。そのオルガン奏者と出会った『スモールズ・パラダイス』の夜を思い出しながら、ライオンはそう考えた。