『The Fabulous Fats Navarro』 BLP-1532
死因は過度の、ドラッグと結核だったと伝えられる。フアツツ・ナヴア口、1950年7月7日、ニューヨークで没す。晩年を知るミュージシャンは、「太っちょ」 というあだ名が嘘だったように痩せ細り、まるで別人のようだったという。かつてアメリカに『メトロノーム』というジャズ雑誌があった。1947年、フアツツ・ナヴァ口がそのジャズ雑誌のインタヴューにこたえている。「私が望んでいるのは、自分独自の完壁なメロディーを吹くことだ。まったくのオリジナルで新鮮なメロディー・ライン、そのメロディーにいちばんふさわしい完壁なコード進行。それだけだ」実質的にはわずか3年間、だがナヴアロはその言葉どおり、つねにオリジナルで新鮮なアイデアにあふれたトランペット・ソロを完壁なコード進行にのっとって吹き切った。
ライオンは12インチLP時代に呼応して、この夭折のトランペッターが残した演奏を二枚のアルバムにまとめて世に問う。だがライオンの手元にナヴア口がリーダーをつとめたレコーディングは残っていなかった。ジャズ・ファンと思しき神は、ナヴア口がリーダー-アルバムをレコーディングするまえに自分だけの専属卜-ンペツターになることを望んだ。
下界に残されていたナヴアロの演奏は、タッド・ダメロンのグループの一員として録音したもの、ともにアンディ・カーク・オーケストラのトランペット・セクションの席に座っていたトランペッター、ハワード・マギーとの双頭グループ「パップテット」によるもの、それにパド・パウエルのサイドメンとして演奏したもの、これだけだ。だが、そこにフアツツ・ナヴアロがいること、そしてすべての曲において独創的なメロディーを吹いていることに変わりはない。
ライオンは「すべてのノート」を公表すべく、マスターテープのなかに刻まれていたトランペッターの足跡をかき集める。結果、2枚のルパムは大量の別テイクによって構成されることになるが、それはたんに物理的な問題からではない。たとえボツにした演奏であっても、ことこのトランペッターの演奏だけはつねに完壁だった。余談。ジャケットのデザイン担当リード・マイルスは、その独自の美学から、ナヴァロの顔を向かって左に向けさせた。撮影者フランシス・ウルフは怒ることさえ忘れたという。
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