『The Fabulous Fats Navarro』 BLP-1531
セオドア・ナヴアロは子供のころから太っていた。ついたあだ名、が「太っちょナヴアロ-Fats Navarro」。 声変わりしてからは、それがあまりにもかん高い女性のような声だったことからさらに不名誉なあだ名が待っていた。 「ファット・ガール」 1923年9月24日、フロリダ州キーウエストに生まれる。最初は、ピアノを弾き、そのかたわらテナー・サックスを吹いていたが 13歳の時、トランペットに転向する。17歳、ダンス・バンドのトランペット・セクションでプロ・デビュー。 やがて1943年から参加した、アンディ・カーク・オーケストラでの演奏によって、その「太ったサウンド」が耳目を集める。
その噂は先輩トランペツター、ディジー・ガレスピーの耳にも届いていた。ピリー・エクスタインのオーケストラを辞めたがっていたガレスピーは 自分の後釜としてナヴアロを推薦する。「ディジーはワシントンDCでバンドを抜けた。彼は私に、アンディ・カークのところにいる、 ファッツ・ナヴァロという若いトランぺッターを聴きに行けと言った。あいつを聴いてみな、すごいからってね。そのとおりだった」(ピリー・エクスタイン) 2週間後、ナヴアロはエクスタイン・オーケストラでガレスピーが座っていた特等席に座る。聴衆は、スターであるガレスビーが、いないことに失望する余裕もなく、 この新しいトランペッターの演奏に驚嘆の声をあげた。評判は評判を呼び、それは同業のトランぺッターたちの間にも広がる。
その中に、ナヴアロが出演すると知るや駆けつけて最前列で食い入るように見つめていた、デラウェア州ウィルミントン出身の若きトランペツターの姿があった。 ファッツ・ナヴァロはクリフォード・ブラウンに決定的な影響を与えた。 10インチ時代のブルーノートのカタログに『 ファッツ・ナヴァロ・メモリアル・アルパム』という一枚が残されている。 1947年から49年にかけてライオンがレコーディングした演奏は、すでにこの時点でか「メモリアル」と付さなければならなかった。子供の頃は体格 を榔撤され、ジャズの世界に入ってサウンドが賞賛されるようになった、「太っちょナヴァロ」は、わずか26歳で「太く」短い人生に別れを告げた。 ライオンがこの驚異のトランペツターをレコーディングするには、あまりにも短い時間しか残されていなかった。
0 コメント: